NHK「ハートネットTV 」~ドクター中松さんの番組への出演について

ドクター中松宅-22016年6月22日、NHK Eテレ「ハートネットTV」で、ドクター中松氏の、がんに向き合う前向きな生き方を特集した「がんと向き合う新発明 ードクター中松 2年のキセキー」という番組が放送されました。
この番組で、私は中松氏の「がん友」として出演しています。

放送の後、多くの方から

「なんで、ドクター中松さんの番組にあんたが出とるの? しかも結構長く。」

と、よく質問されましたので、今日は、私と中松さんとの出会いと、番組出演の経緯についてお話ししたいと思います。

「ただのオッサン」から「尊崇する存在」へ

2015年11月5~6日に東京 丸の内のキッテ館というところで「京都知恵産業フェア2015」が開催され、舞鶴巧芸も参加いたしました。

東京用

会場には、京都ならではの技術・伝統・デザイン・感性・物語性などの知恵を活用した商品やサービスを提供している企業111社が90cm四方のブースに並び、多くのバイヤーの方々と商談を行いました。

バイヤーの方に対応していると、遠くに車いすに乗って女性に押されている人が見えました。
その人は、ブースの間をグルグル回り、行く先々で「先生、先生」と呼ばれ、左手に持った分厚い名刺の束から「ハイ、ハイ」と名刺を渡していました。

中松さんでした。

まだこのときは、私にとって中松さんは「ただのオッサン」でした。
バイヤーという認識すらなく、テレビで見たことのある、一風変わった発明家という程度の認識でした。

中松さんが舞鶴巧芸のブースにやって来られました。
弊社の「京琥珀」と銘打ってある名刺ケースを見て、
「綺麗ですね。このやり方で戦艦三笠の錨をモチーフにした名刺入れがあったら嬉しいですね」
と言われましたので、私は「ああ、そうですか。どうもありがとうございます。」と言って、軽く頭を下げました。
すると中松さんが「あなたは私の名刺がいらないの?」と言われるので、「ああ、それならいただきます。」と返事をしました。

中松さんが次のブースに行かれたあと、もらった二つ折りの名刺を開けてビックリしました。

自分はガンであること。

今年の12月末日が余命宣告の日であること。

そして、治療法がないため、自分で発明する。 と記してありました。

当時、中松さんは87歳。
車いすで、しかも2か月後には余命宣告を受けているのに、あの明るく前向きな姿。
この時を境に、私にとって中松さんは、ただのオッサンからある意味尊崇する存在に変わったのです。

隣のブースでの話が途切れたとき、私は中松さんに話しかけました。

「ガンなんですね。私も肺ガンです。死ぬまで元気でいてくださいね」

中松さんが右手を差し出されました。
私たちは、握手をしました。

三笠の錨名刺ケースがキッカケの、番組への出演

三笠の錨年が替わり、注文されたわけではなかったのですが、中松さんがおっしゃっていた三笠の錨の名刺ケースを、敬意を込めて創り、贈らせていただきました。

すると、中松事務所の方からお礼の電話があり、「中松ブランドの名刺入れを作ってほしい」とのお話をいただきました。

また、その電話の中で秘書の方から、「今日の午後2時にドクター中松が電話口にいますから、田中さんから電話してやってください」と言われました。
ちょうどその日にEテレが中松さんを取材することになっており、私と話している中松さんを番組カメラが撮影したのです。

電話の後、番組ディレクターから「弊社に取材に来たい」との連絡がありました。
そして、刺身のつまみたいな形ではありますが、番組に出ることになったのです。

中松氏対談その後、舞鶴での取材だけではなく、「番組にぜひ必要だ」と言われて、私は中松さんと東京で対談することになりました。

その時の様子は、番組で放送された通りです。

中松事務所対談の後、中松事務所の中をいろいろ案内していただきました。
発明品の数々を見せていただき、それぞれ解説していただきました。

おたがい「モノづくり」が好きなもの同士。
とても興味深く、楽しく、面白かったです。

中松さんと私が、お互いガンでなければ、このような出会いにつながらなかったかもしれません。
そう思うと、あらゆることに、ガンになったことにさえ、感謝の気持ちでいっぱいです。

追記

先日(8月29日)、番組ディレクターから、
「異例なのですが、番組が再々放送されます」
との連絡がありました。
余命宣告を受けてもなお前向きに生きる中松さんの姿に対する反響が、非常に大きかったのだと思います。

9月13日(火)午後1時5分から、NHK Eテレでの放送となります。
ぜひ、ご覧ください。